2014年10月30日木曜日

A big fish in a small pond theory: 小さな池にいる大きな魚セオリー

今日は最近読んでいる本、David and Goliath から印象に残った "a big fish in a small pond theory" についてお話したいと思います。

A big fish in a small pond theory を読んだ時、「やっぱり」と思いました。
意味は正にそのまま、同じ魚も小さい池に入れば大きく見え、輝く。逆に大きい池に入ってしまうと、自分が小さく感じるだけではなく、時には居場所も見失ってしまうのです。


私エルザもこんな経験があります。

【大きすぎる池に入った魚】中3で成績が良くなった私は、地域の名門高校にギリギリ入学するが、そこで、常に最下位争い。

【小さな池に入った魚】高2の時に留学し、田舎の小さな学校へ編入。そこで、数学と音楽の授業ではトップとして称えられる。

【小さな池で大きくなっていく魚。そして徐々に大きな池へと移行】日本に帰国し高校卒業。アメリカの250人規模の小さな無名の短大へ。そこで、みなが顔見知りの中、生徒会や勉学に励み、遂には卒業生代表として抜擢され卒業。その後、4大編入、奨学金を得て卒業。アメリカで公務員として就職。


Big fish small pondセオリーによるとこれはよくある話しだとか。頑張って有名大学に入っても、埋もれていってしまう学生に比べ、少しレベルは下がる大学ではあるのですが、常にトップで勉強して卒業した学生の方が社会に出てからより多くの論文を発表したり、会社で貢献したり、リーダーシップを取ったり。。。という成果が見られるとか。
不思議ですね。同じ「自分」と「能力」なのに、周りの環境でこんな風に影響を受けることもあるなんて。


もちろん100%全ての人がa big fish in a small pond theoryに当てはまるわけではありません。逆境の中でこそ突き抜けて行く人もいます。

でも、どんな環境下に置かれても変わらないこと。それは、

神様が私たちの成功を望んでおられること。失敗ではなく。






小さな池から始め、自分を確立した上で大きな池へと移って行くのは良いアイディアだと思います。でも、どんな池の中にいても自分が何者かを、そして自分の可能性を見失わない。それが、大事なんだなーと教わりました。

2014年10月21日火曜日

「私は全ての時間が、自分の時間だと思ってるよ」

そう言われた時、思わず涙が溢れました。
大学を卒業して、すぐ結婚して、子供ができて…仕事は終電間近で家に帰る日々。
数少ない休みの日には、落ち着く間もなく子供の世話や、地域のボランティア活動への参加、流れるような時間の中で、自分を後回しにして「あれもやらなきゃならない」「これもやらなきゃいけない」… なんだか自分自身を見失ったみたい。
ある日の仕事帰り、職場の先輩達に誘われ居酒屋 へ。 「これも、行かなきゃならない」なんて思いながらの参加に、出てくる言葉も愚痴ばかり。
「仕事に、子育てに、空いた時間は別の何かを頼まれたり、やらなきゃいけないことが出てきたり…自分の時間なんて全く無いんです。それが何だか窮屈 で…」
聞いてくれるだけでよかったんです。 (私は飲みませんが)飲んで騒いでいる先輩達には自分の思いは100パーセント伝わらないだろうと思っていましたし、何かアドバイスを貰おうなんて期待すらしていませんでしたから。
ただ、口を開くことで、今の自分が頑張ってるんだって認識したかったんです。
「俺は、そう思わない」
突然、職場で信頼している1人の先輩がそう言いま した。
「休みの日、子供が泣いた時はこう考えるんだ。こ れからの時間、子供のせいでこの時間を使うのか。 子供のために自分がこの時間を使うのか。俺は選んでるんだよ。」
「自分で選んだ時間は、自分の責任だから。誰かのせいじゃない。だから後悔もしない。俺は24時間全てが自分の時間だと思っているよ」
…言葉って本当に不思議ですね。
自分が望んで与えられた環境を、いつしか誰かのせいにしていたり。
望んでいない環境でも、それをどう過ごすかは自分で選ぶことができるんだって。
その日から全ての時間が、自分の時間へと変わりました。
それを気づかせてくれたのは、そう言った記憶すらない泥酔いの先輩の一言です。
自分で選んで過ごす仕事も子育ても…家族を幸せにする大切なレシピなのかも☆彡

2014年10月10日金曜日

雨☂ふれふれ...うれしいな。

雨の日。
飛ぶネコにとっては憂鬱です。
お日様の暖かい日差しが恋しくなるから。
一日家の中で過ごさなければならないから。
洗濯物が乾かないから。


数日続く雨を窓から眺めて、
いつ止むんだろう、とつぶやく途端に、
子どもたちに伝染する負の空気。
「雨の日は嫌い、なんて言っちゃダメよ。
雨がないと、水が飲めなくなっちゃうんだから、
この雨だって、神様からのお恵みなのよ。」
と、宗介のお母さん(『崖の上のポニョ』のリサ)のマネをして
気分を晴らそうとしてみたりします。


雨の晴れ間。
4歳と2歳の息子を連れて散歩に出かけることに。
雨上がりのにおいと外の新鮮な空気をゆったり楽しんでいると、
息子たちはすでに視界の外。
やっと外に出られる!という解放感が
彼らのロケット噴射に火をつけたらしいです。


待ってください。
解放=事件
という方程式があるのをご存知ですか?


だから、次に飛ぶネコが目にしたものは、
雷に打たれたかと思うほど衝撃的でした。
息子二人はトランポリンでもしているかのように
水たまりで飛び跳ね、大はしゃぎだったのです!


飛ぶネコが追いついた頃には
全身ビショ濡れ。
乾いているところが見当たらないほどの濡れようです。
ため息しか出てきません。


ここまでずぶ濡れだと、
靴が濡れるから、服が汚れるから、
風邪をひくから...。どの言い訳も使えません。
飛ぶネコが何も言わないのをいいことに
息子たちの笑い声がこだましていきます。


向こうから若者がやってくるのが見えたので
しぶきがかからないように、息子たちをなだめに行きました。


「いいお母さんですね。」


はい? いま、なんと???


「わたしのどこがいいお母。。。。」
と言いかけた時、


「ぼくが子どもの頃、
母親はぜったい、水たまりで遊ばせてはくれませんでしたよ。」


そう言って、
青年に気づかずに遊ぶ息子たちに優しいまなざしを向けて
彼は通り過ぎて行きました。


え?いいお母さん?
あ!わたし、いいお母さんになれたんだ―――!!!



The picture is from lds.org




















子育てに対する自信がなくて
飛ぶネコの心も連日雨模様に感じている時でした。


何日か前、ご近所のお母さんは
子どもと一緒に雨の中で踊っていたんです。
お母さんは、唄いながらバレリーナのように、
子どもたちは傘をクルクル回しながら。
まさに、Singin’ in the Rain です。


そんなご近所さんに視線が釘付けの息子たちがいたことに
気づいていたんです。
飛ぶネコも心の中で、楽しそうだな、とは思っていたのですが、
それを口に出すことをかたくなに拒否していたのに
気づいていたんです。
仕事が増えるんだから、やってられないよ、そんなこと、って。


でも、そんな余裕のない自分にガッカリもしていました。


不平と言い訳だらけで埋まりそうだったその日の日記は、
別の世界を見せてくれた青年の一言のおかげで
飛ぶネコの育児教訓として綴られて、
生涯心に残る思い出になったのでした。