2014年5月30日金曜日

輝く母親★格言集

私、エルザの大好きな母親たち。そして、彼らのコドバを綴ってみました。お楽しみあれ。

ターシャ・テューダー
「子供達が小さい頃は、しじゅう疲れていましたけどそういうものだと思っていたので、苦労だとは思いませんでしたね。」


渡辺和子
「置かれた場所で咲きなさい。」


Maria Covey Cole
"…contentment is a process. …… entrusting myself to God's care, gaining perspective, shunning comparison, overcoming discontentment, learning to be content, and finally, allowing my nature to be changed through the grace of Christ" (Contentment Inspiring Insight for LDS Mothers, p3-4).
「充実感を味わうのはプロセスです。神の御手に身を委ね、物事に対する視点を増やし、他と比べることをせず、不満に思う事を克服し、充実感が持てるよう学び、自分の本質をイエス・キリストの恩恵によって変えることです。」

浅井智子
ご長男がお腹に宿ったときに作った歌だとか。私も森のわらべ(森のようちえん)へ参加させてもらった時に聴きました。

「私を ママにしてくれて 本当にありがとう。
あなたが 我が家に来るのを ずっとまっていたの。
ママもパパもドジばかり スーパーマンじゃないけれど
あなたが そこにいるだけで かけがえのない喜びなの。
私を ママにしてくれて 本当にありがとう。
あなたが 我が家に来るのを ずっと待っていたの。」


マーガレット・D・ナドール(末日聖徒イエス・キリストで若い女性達のリーダーをつとめた方)
「世には強情な女性は十分います。必要なのは心の優しい女性です。粗暴な女性は十分います。必要なのは思いやりのある女性です。無礼な女性は十分います。必要なのは品のある女性です。名声と財産を手にしている女性は十分います。必要なのは信仰の篤い女性です。貧欲はもう十分です。もっと慈しみが必要です。うぬぼれももう十分です。もっと徳が必要です。流行ももう十分です。もっと清さが必要です。」


そして、
エルザの母
「蒔いた種は刈り取る。」

聖書に何カ所か出てくるのですが、分かりやすいのはガラテア6:6−10
でしょうか。
昔、近所の子で服も汚く穴が空き、髪の毛もボサボサな女の子がうちに毎日来ていました。その子は私たちとは遊ばず、私の母とお話をしておやつを食べ、帰ります。ある時、私が「あの子は汚いから嫌!うちに入れないでよ。」と言うと、母は「蒔いた種は刈り取るのよ。例え、あの子から何か良いものをもらわなくても、まわりまわって、他の人から親切をしてもらえるの。だから、誰にでも親切にして、良い種をいっぱい蒔くといいのよ。」
そして、私の人生は全くその通りに!と言っても、どれだけ良い種を蒔けているのかは分からないのですが、まわりからいつもたーっくさんの愛と助けをいただいています。まわりの良い実たちに負けないぐらい、私もせっせと続けて良い種を蒔こうと心がけています。

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そして、今年に入って二人の大好きなおばあちゃんが亡くなったので、彼女達のことも少し。。。

エルザのおばあちゃん(父方)
「まーーーー、ぶったらなかん!」
方言で、「もう、捨ててしまわなければいけない」という意味。これを、梅干しを間違って食べてしまったような顔で。
私が、いつも賞味期限切れの物を食べようとしたり、ゴミ箱行きの物を使おうとしていたので、おばあちゃんは心配してこう言っていました。そして、お小遣いをくれるのです。笑。優しさの塊です。


エルザのおばあちゃんのお姉さん(母方)
これは、言葉ではないのですが。。。
先日、このおばさんのお葬式がありました。満90歳。病気で小さく痩せて亡くなられたのに、葬儀屋さんが運ぶ時にとても重かったようです。案の定、骨が極太で、男性用のお骨入れじゃないと骨が入らなかったそうです。彼女の人生を振り返ると、骨太だけではなく、野原を走り回る元気な女の子から、芯が強く、とても凛とした女性へとなった方でした。そんなおばさんが、かっこいいなーと思い、今でも私は彼女のファンです。


では今月の最後は、
村岡花子
「ごきげんよう。さようなら。」で。

2014年5月21日水曜日


 私の母は忙しい。

朝起きて朝食、昼のお弁当、夜ごはんの仕込み(日によっては仕上げまで)と洗濯物を干してから会社に行きます。通勤時間や昼休みの空き時間はいつも読書か勉強をしていて、スペイン語は十数年ずっと継続して学んでいます。もちろん私達子ども4人の面倒をみながら。

最近は弟も実家から巣立ち、お弁当を作る回数も量も減ったようですが、以前PTAの責任があったりした中でも教会での奉仕もいつも怠らず、本当にパワフルで睡眠不足で倒れないかな?なんて思ったこともしばしばありました。

今月は日本に里帰りに来ていて先週末から母と2人で旅行を楽しんでいるところです。7年前にも親子2人でパリを旅したことがあります。

当時は働きはじめて2年目の私と妻、母、会社員…etc多くの肩書きをもつ母。
忙しい母を独占しての旅、初めてのヨーロッパ、全くわからないフランス語、フランス文化。私の経験値をあげてくれる出来事ばかりでした。そして母の英語・スペイン語力に頼りきった旅でした。母が一緒じゃなかったらどうなっていたことやら‥

嫁いで家事が始まって今では更に母への尊敬の気持ちが増しました。温泉にゆったりとつかりながらの会話は内容は普段とあまり変わらないけれど特別な時間でした。

どんなに忙しくても、体調を崩していても、怒らせてしまった時でも母はそういった理由でご飯作りを放棄したことは一度もありませんでした。

十年近く前に、何かあって(ここは忘れてしまいました。確か弟の反抗期だったような‥)母が怒っていた夜も既に仕込まれていたメニューのほかに育ち盛りの弟達にむけた一品も作り始め、私はすこしびっくりしたのを覚えています。

何故びっくりしたかというと、私だったら家事をしたくなくなるような会話が聞こえてきたからだったと思うのですが、そのことを尋ねてみたら「それとこれとは別。ごはん作りはみんなが成人するまで私の義務だから。」と返ってきました。

母の血が私にも通っているはずなのに、未熟な私にとっては目から鱗の発想でした。

そんな母の芯がとてもかっこいいと思います。

ありきたりな言葉ですが、お母さんいつもどうもありがとう。


(父にも感謝していますがそれはまた別の機会に)

2014年5月10日土曜日

母の日記念ーお母さんありがとう特集

母に感謝していること



信念を貫きとおした
☆:;;::;;:*:;;::;;:☆


「みんなもやっているし」
「独りだけできないのは嫌だ」
「お母さんの考えは古いんだよ」
という、飛ぶネコの罵声にも負けず
いけないことはいけない、
必要ないことは必要ない
というのを貫き通してくれました。

おかげで、今の飛ぶネコには
母のように揺るがない価値観と信念が出来上がりました。




不平を言わずに難しいことをやり抜いた
☆:;;::;;:*:;;::;;:*:;;::;;:*:;;::;;:☆


仕事と家庭を両立していた母。
現在、母となった飛ぶネコは
子育てだけで精一杯。
これに、仕事が入ってくるなんて、
とてもじゃないけど考えられません。

育児に疲れて夕食の準備を怠りたくなる時、
帰宅後休まず食事の準備をしていた母のことを思い出し
キッチンに立つことがよくあります。




品格のある女性
☆:;;::;;:*:;;::;;:☆


母は、家長としての父を尊敬・尊重し、
そういう母の思いを父も尊重していた、というのが
子ども心にもよく理解できました。

昔の人だから、と言われればそれまでですが、
とても大事なことだと感じるのです。

夫婦間でもお互いを尊敬し、尊重する関係は
保たれるべきものであり、
それが円満の秘訣じゃないかと。

そういう思いをさりげなく実行していた母は
女性として真の品格を身につけていた人だと感じます。




犠牲を惜しまない
☆:;;::;;:*:;;::;;:☆


家族にはもちろん、他人のためにも
自分の労働を惜しまない人でした。

見る人が嫌な気持ちになるからと、人が落したゴミを拾ったり、
(長男はわたしが話したこのおばあちゃん像を聞いて、
同じことをやっています。)
ゴミ収集所の掃除をしたり、
かわいそうだと言っては捨て猫や捨て犬にご飯をあげたり、
(でも、飼ってはくれませんでした。笑)
困っている人を見かけると声をかけ、
いつも周りの人を気遣って、自分のことは後回しでした。




読書好き
☆:;;:*:;;:☆


実家の壁は本でビッシリ。
自分の時間があれば読書をしている母でした。

一人で旅行に行く性質ではない母にとって、
忙しい父が連れ出してくれないことは
もしかしたら、不満の種であり、
その鬱憤を小説の世界で晴らしていたのかもしれない
と、今では思います。

母が本が好きだったから、
わたしも本を読むのが好きになりました。
読書という共通の趣味で母と語り合うことができるのを
嬉しく思います。




元祖!Upcycleの達人
☆:;;::;;:*:;;::;;:☆


とにかく、物を捨てず、新しい物を買わずに
その物の寿命を大事にすることが上手でした。

飛ぶネコのUpcycle熱は、母から受け継がれたものでしょう。







そして、最後に付け加えたい話が二つ。



長男の出産を経験した時のこと。

予定日の翌日の早朝、陣痛が始まりました。

病院に電話してから破水し、
到着した時には、尿道カテーテルを入れられ、
ベッドに括り付けられた状態でした。


陣痛が強まっていく中で
主人から連絡を受けた母が駆けつけてくれました。
痛みでゆがむ娘の顔を見て
腰をさすってくれる母に、
「世の中のお母さんって
こんな思いをして子ども産むなんて、すごいね。」
と言いながら、わたしを産んでくれた母への感謝の涙が
頬をつたいました。




締めは、ピアノの話。

飛ぶネコの家には、新品のアップライトピアノがありました。
そのピアノは10年間、飛ぶネコの指と共演してくれました。


ある光景が記憶に残っています。

月に一度、おばさんが訪ねて来るんです。
その人が来ると、母は台帳のようなものに、
切手のようなものを貼ってもらっていました。
今思えば、それは、
月賦払い
ピアノの代金だったのです。


当時は、家にピアノがあるのは珍しい時代。
家もまだ建てていなかったのに、
なぜ母は、そんな高い買い物をしたのでしょう。


「お母さんはレコードでピアノの曲をよく聴いていたし、
娘に何か習い事をさせたい、ピアノを弾かせたいと思ったから」
とのこと。


買ったピアノを娘が好きになるとは限らなかったのに、
思い切った買い物だと思いませんか。


星になった少年』という映画、ご覧になりましたか?
哲夢くんが象を好きになった理由を
彼女だった絵美ちゃんがお母さんに告げるシーン。
とても心に残っています。

そして、わたしもそうだったな、と思うのです。


お母さん、すべてに感謝していますよ。

# 母親 #母の日 #ItWasMom
Motherhood
 

2014年4月30日水曜日

ミラーミラーミラー

「なぜ人のあくびは伝染するか?」
という話題がラジオで繰り広げられていました。



ある大学教授の研究結果によると、
あくびは関係が近い人ほど伝染するという。



病院の待合室にいる赤の他人より、
自分の家族や友人など関係が近い人があくびをする時に
それがより伝染し、自分もあくびが出てしまう、と。



職場のトレーニングで
「ミラーニューロン」という細胞について
学んだ事を思い出しました。



ミラーニューロンとは脳の中にある細胞物質で、
「他の個体の行動を見て、
まるで自身が同じ行動をとっているかのように
"鏡"のような反応をすることから名付けられた。
他人がしていることを見て、我がことのように感じる
共感能力を司っていると考えられている。」(Wikipedia



なーるほど。
あくび感染は、ミラーニューロンのしわざだな。



ふと、恐ろしいことも頭によぎりました。



ミラーニューロンを上手く活用できないと、どうなる??



例えば、対戦系テレビゲーム、
残酷なシーンが多い映画や悪質なインターネットの記事に
触れる機会が多ければ多いほど、
実際に自分は殺人などの罪は侵していなくとも、
ミラーニューロンによって、
あたかも自分がやったかのように脳が刺激され、共感を生み、
最後には本当に殺人の罪まで犯してしまっていた!!
というような事件、よく聞きませんか?



また、ここまでは行かなくとも、怒ってる人の隣にいるだけで、
自分も怒れてきてしまったり。



世間のモラルの低下も、
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というような状態も、
このミラーニューロンが
私たちの脳にあるからではないでしょうか?



では、どうして神様は
このような機能を私たちに与えたのでしょうか??



聖典のヨハネによる福音書13章15節でイエスさまは
弟子達の足を洗い、こう言いました。
「わたしがあなたがたにしたとおりに、
あなたがたもするように、わたしは手本をしめしたのだ。」



イエスさまの模範に倣えってことですね!!
。。。。。。?!!?!



裏を返せば、私もイエスさまがなさったことができる!!
私にその能力が備わっている!!



ミラーニューロンの知識から、
今まで漠然と「私もイエスさまのようになれる」
と思っていたのが、
物質科学的に可能だという証を得た瞬間でした。



さあて、わたくし、エルザの中の、
鏡よ、鏡、鏡さん、
この世で何を写し、私をどんな人にしていくの??














(ティツィアーノの「化粧する女」)

2014年4月20日日曜日

桜の花

 
こんにちは。春です。

私の住んでいるユタ州でも桜が咲いた!と思った2日後には大粒の雹と強風に桜の花がさらされてあっという間に散ってしまいました。

ユタ州ではTシャツ一枚でも過ごせるような天気の翌日に雪が降るなんてことも珍しくありません。

私は運よく、ぽかぽか陽気の気持ちのいい日に満開に咲いた桜を日本からうちにホームステイしに来ている友人と一緒に鑑賞することができました。





きっと多くの人が桜にまつわる思い出や思い入れがあるのではないかと思います。

私もその中の一人です。

ちょうど一年前のこの時期、私は自分のウェディングドレスを縫っていました。

主人と私は約一年間、ビザの申請でアメリカと日本での遠距離で過ごしていました。

元々学生としてのビザは持っていたのですが、結婚の為に取得し直した為にだいぶ待たされてしまったのです。

いつ届くのかわからないビザの最初の書類を9ヶ月の間ずっと毎日ポストを気にしながら過ごしていました。

休日には郵便屋さんのバイクの音が聞こえてくると、「もしかしたら今日こそ届くかもしれない!」とワクワクして胸を弾ませては、がっかりしていたのも今となっては思い出です。

ビザを待っていた間、楽しいことや幸せなことに集中することが出来ず悲観的になってばかりでした。

毎日心の中で空き缶をカンカラカーンと蹴飛ばし、かなりやさぐれてた私ですが、ビザが受理された日に急速に心が温まったのと共にプロポーズを受けて丸一年経つ頃でしたが、実はその時に初めて婚約した実感が湧きました。

面接で面接官の方が「あなたのビザを発行します」と言われた瞬間、涙が溢れて、そしたら面接官の方も頷きながら一緒に涙を流して下さったこと今でも忘れられません。

帰り道、大使館の外の桜に蕾がついてるのを見て「あぁ春が来るんだなぁ。」と思いながら携帯で写真を撮ろうとしましたが、大使館は写真撮影禁止という看板がすぐ横にあったのが目に入り、思い出に一枚撮りたい気持ちをグッとこらえて赤坂をあとにしました。



「桜が咲く頃まで頑張ってみよう」

私が末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師として活動していて、挫折しそうになったときに励まされた言葉です。

励まされた通り頑張って気がついたら春が来て本当に本当に立派で見事な桜を見ることが出来ました。と同時に私が挫折しそうだったことを諦めずに成し遂げることができました。


私は神様をこの目で直接見たことはありませんが、美しい自然を通して神様の愛を知ることが出来ます。


努力は必ずいつか実を結んでくれると信じて、これからの人生も桜を楽しみにしていきたいと思います。



2014年4月12日土曜日

多世代交流の第一線

入園・入学式、新学期、新社会人。。。。。
新しい出逢いの季節ですね。



もう素敵な出会いがありましたか?



入学式も新学期もとっくの昔に終わった人生に
出逢いなんて。。。とお考えの方。
飛ぶネコもまったくもって
そのような環境で人生を送っておりますが、
いいえ、まだまだ、
恵まれてたくさんの出会いを経験しているのです。



飛ぶネコには、特別な友人がいます。
今月100歳になるおばあちゃんです。



彼女とは、畑仕事を通してお知り合いになりました。



うちの裏庭にこしらえた小さな畑。
水やりや草取りのため畑に出ると、
大抵、おばあちゃんも彼女の裏庭の畑に顔を出していて、
ふたりで野菜たちの生長ぶりをあれこれ語り合いながら
世間話に花を咲かせるようになったのがきっかけで、
友情にも実を結びました。



100歳の今でも一人暮らしをするおばあちゃん。
「腰が悪くなって、なんにもできないよ。」とは言うものの、
そうやって、畑の世話から身の回りのことを
自分でこなしている姿を見ると、
彼女から生命力なるものを感じて
こちらにもエネルギーがみなぎってきます。



おばあちゃんの家には、たくさんの人が頻繁に訪れます。
お元気とは言っても、
一人暮らしのおばあちゃんのことが気になって、
親切にも何かできることはないかと訪ねてくる人たちです。



おばあちゃんから
「うちへあそびにいらっしゃい」
とお誘いが来ることもあります。
訪ねてみると、巻物を開くかのように
一世紀にわたる経験を披露してくれます。
教科書に書かれていない歴史、まさに、本物です。



さて、おばあちゃんにはどんな秘密があって、
人生をこんなにもエンジョイしているのでしょう。



実は、おばあちゃんには教会という
安心できるコミュニティーがあります。



飛ぶネコにもあるんです。このコミュニティ。
そこでは、10か20、あるいは30、年齢が上の先輩方と
肩を並べて語り合う機会があります。
先輩方の知恵に耳を傾ければ、
何事でも上手くできるように感じます。



親しくしてもらっている若い子たちもいます。
小学生から30代までの乙女たち。
プラス、小学生から大学生までの男児たち。
彼らから放たれる若さのしぶきを浴びれば
自信とやる気を伸ばす魔法をかけられたように感じます。



教会では、下は新生児から、
上は、80代、90代、
はたまた、裏庭のおばあちゃんのように
100歳の長寿の方までが集まり、
多世代にわたる交流があります。



新生児を抱える新米ママに近寄って赤ちゃんを抱き
ママがちょっと一息つけるように配慮してくれる
子育ての終わったお母さんたち。



キャハキャハと楽しそうな声を上げて
廊下を行き交う2、3歳児を
目を細めて見つめるおじいちゃん、おばあちゃんの優しい目。
子どもたちから見れば、
曽祖父母にあたる年齢の人たちです!!!



思春期で多感な青少年に
頼れる先輩となってくれる大学生のお兄さん、お姉さん、
親身になって相談に乗ってくれる若いお父さん世代。



あげればきりがないですが、
現代の社会ではあまり遭遇しない
素敵な出会いがたくさんあります。



先日も、世界中にいる末日聖徒の
女性たちを対象に開かれた集会がありました。



8歳以上の女性たちがソルトレイクのカンファレンスセンター
テレビやインターネットの前に集まって
数人からお話を聴くという集会でした。



81歳のおばあちゃんが、14歳から15歳の
少女たちを教えるクラスの先生に選ばれ、
異世代の女性たちが仲睦まじく交わる様子が紹介された時、
飛ぶネコと100歳のおばあちゃんのような素敵な関係が
他でも育まれているのを知って、
顔をほころばせました。
















信仰を同じくしていますが、
もちろん、馬が合わない人もいます。



ですが、最近感じることは、
人と交わることに
つらさがなくなってきたなぁということ。



若い頃は、自分と違うところにすぐ目がいって
イライラを感じることが多かったように思います。



年の功もあるとは思いますが、
お互いを尊重し合いながら
付き合うことができるようになってきたのには、
教会を通して、様々な年代の人々と接することが
大きく影響していると感じるのです。



なんといっても、やはり、最大の恩恵は
イエス・キリストの教えから受けているといってよいでしょう。



キリストがわたしたちの弱さ、苦痛、苦難、試練、病までも
ご自分の身に受けて、赦してくださった

(アルマ書7章11-12節)おかげで、
自分が犯した失敗、失態にくじけることなく
何度でもやり直し、上手になっていこうと思えます。



素敵な出会いが友情という実を結び、
いろんな世代の人と交わることで
新たな自分をも発見できる。
教会は、飛ぶネコにとってそんな場所になっています。

2014年3月30日日曜日

世界一の母親になる

私、エルザの夢は世界一の母親になること。もちろん、他の子ではなく、自分の子にとって。

結構簡単なように見えて、難しいと私は理解してます。そして、世界一やりがいのあるプロジェクトだ!と。


「結構簡単」と思うのは、セラピストとして小児科精神病棟で働いていた経験から。

そこに来る子どもは90%以上が、虐待、育児放棄など、それぞれに重度、軽度は違えど何らかの心へのダメージを親、または保護者から受けてきた子達。
そんな子達も、小学生ぐらいまではほとんどが、

「お母さんと離れたくない。うちに帰りたい。」と泣き叫びます。

彼らにとっては世界でたった一人の母親だからです。

「あんな劣悪条件で育てられても、母親の元に帰りたいのか。。。」とよく思ったものです。


極端な例でしたが、この経験から「私の子どもも、私がそんなに頑張らなくても、私を愛してくれるんだろうなー。」という、時に恐ろしい、時に平安を心に与える思想が私の根底にあります。

「難しい」と思うのは、母親業は「成功」が測れない、そして、果てがないからです。

もっというと、Aさんでは成功した育児法もBさんがやったら家庭崩壊の危機?!なんてこともありえるわけで、「数多とある情報から何が一番うちの次男に合ってるの?」なんていう、気が遠くなるような質問も出てきます。

実際、私も育児法の書籍を何冊か読みましたし、未だに読んでいます。笑。育児にまつわる講演会もしました。そこで、分かったことはやはり、ケースバイケースだということ。


それでも、やはり、声を大にして言いたいこと、

それは、

育児書のバイブル的存在は、正にバイブル。

私たちの教会では、バイブルとしてモルモン書、聖書、教義と聖約、高価な真珠の四書を使っているので、そこから得られるイエス・キリストの教えが最高の育児書です!!!



と言いたいんです!!


胸を張ってこう言えるようになるのも、私の挑戦の一つ。



ここで、今日の私の奮闘ぶりをみなさんに少し紹介したいと思います。

「信じて待つ」をモットーにする森のようちえん森のわらべに今日は体験で行ってきました。

子どもの自ら育っていく力を信じ、子ども主役で親は忍耐。

今日の禁句は「早く」「あぶない」「きたない」。この三つの言葉を子どもに言わないこと。

雨の中、山道の散歩。しかも、道なき道を傾斜で降りていく場面もあって、正直、難しかった!
「あぶない」って子どもに言わないようにするの(笑)。

それでも、天を見上げると、宝石が木々を飾っていました。


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森のわらべの園長浅井智子さんは、なんと私と同じモルモン。彼女と初めて出会ったのは教会でした。

彼女が、最後にこっそり私に教えてくれました。

スタッフの中に同じ宗教の人はいないけど、やっていることはイエス・キリストの教えに沿ったもので、感謝や愛、温かさなど福音の土台になるものは皆にも伝わってきている。と。

どどどどーっと私の中に入ってきた「安堵感」「共感」。
 さらにはこんな聖句まで:


 さて、御言葉を一つの種にたとえてみよう。さて、もしあなたがたが心の中に場所を設けて、種をそこに植えるようにするならば、見よ、それがほんとうの種、すなわち良い種であり、またあなたがたが主の御霊に逆らおうとする不信仰によってそれを捨てるようなことがなければ、見よ、その種はあなたがたの心の中でふくらみ始めるであろう。そして、あなたがたは種がふくらみつつあるのを感じると、心の中で次のように思うであろう。『これは良い種、すなわち御言葉は良いものに違いない。これはわたしの心を広げ、わたしの理解力に光を注ぎ、まことに、それはわたしに良い気持ちを与え始めている。』(アルマ32:28)


そうなんです、「種」なんです。良い種が心を広げ、理解力に光を注ぎ、良い気持ちにさせてくれるのです。 力を加えて強制的にパンッと咲かせる「クラッカー」ではなく、忍耐して、太陽の光や水を少しずつ取っていった「種」が時間をかけて膨らむんです。

先日、娘とした会話を思い出しました。

私:「あれ?また背が伸びた?どうやってそんなに大きくなったの?」

2歳の娘:「そとで水であそんでたら、ぬれて、大きくなったの。」

私:「?そうなんだー。。。」

その時は分からなかったのですが、後から、娘が世話をしているお花たちがそうやって育つということに気づき、娘も植物と一緒の成長の仕方だと思ってるのだなーと心の中で微笑みつつ、でも、実際合ってるかも、と感銘を受けた私。

娘という種が育ち、芽を出し、花を咲かすのに、母の私は良い土を準備し、水をあげ、光に当て、「信じて待つ」をしたいと思いました。


今まで「信仰について」と読んでいた聖句から、育児の知恵をいただいた瞬間でした。

みなさんにとってのバイブル、そこからどんな育児の知恵を学んでいますか?